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この町に来て早1ヶ月。
次の町へ行かなければと私は部屋に散らかった私物を掻き集め鞄の中へと押し込んだ。


しかし荷造りの途中、彼女の笑顔が頭を横切る。
本当はもっと早くこの街を出て行くこともできた。でも結局彼女のことが忘れられず、無意識のうちに鞄を視界の入らないベッドの下へとしまい込んでいた。


だんだん旅支度をしていた手の動きが鈍くなり、気持ちも次第に沈んでいく。


ふと机の上に置かれた杖に視線を向ける。
この町に来てから一度も使っていない魔法の杖。きっとこの町から出ていかない限りこの杖を振るうことはないだろう。


ここで杖を手放してしまえば自分はまた普通の人間に戻れるだろうか。
そんな負の気持ちが日に日に強くなり何度もこの手で杖を折ってしまおうとした。でもその度に今度は師の顔が思い浮かび、師のあの口癖が私の行動を阻止する。まるで天国から私の様子を見ているかのように。


私は彼女が好きだ。
叶うことなら魔法使いの役目など忘れて彼女と共にこの町で暮らしたい。
私が知らない幸せな未来を彼女と一緒に築いていきたい。


でも私は英雄と呼ばれた魔法使い。
世界は英雄を求めている。


窓から差し込む西日が暗い私の顔を照らす。その光はまるで優しい彼女の笑顔のように明るく眩しかった。


私はおもむろに杖を手に取り、壁にかけてあったローブを着る。


せめて今思っているこの気持ちを彼女に伝えよう。
伝えて断られたのなら悔いはない。彼女に別れを告げ、明日の朝この町を出て行こう。


日が沈めば外は直に夜になる。
杖を懐にしまうと私は荷造りをそのままに部屋を出た。





***





空が薄暗い。
いつも賑やかな広場はシンと鎮まり返り、どこか寂しい空気だけがその場を漂っていた。


さすがにもう帰ってしまったかと辺りを見回すと、彼女はまだ広場の片隅で花が入ったカゴを持って立っていた。
しかし今日の彼女はどこか曇り顔。


気になって声をかけると、突然彼女の目から涙が零れた。


男は女性の涙に弱いというのは本当のようだ。
恐る恐る涙の理由を尋ねると、彼女は手で顔を隠し震える声でこう言った。


今夜城で王子の妻を決める舞踏会があるという。
この町の王子は大層立派な御方らしく、町娘達の憧れ。貴族とは無縁の町娘達には二度とないチャンス。


もちろん彼女のところにも招待状が送られてきた。しかし家が貧しい彼女には舞踏会に着ていくドレスも靴もない。



「私も舞踏会に行きたい」



ぼそりと彼女が呟く。
その言葉に私は懐にしまった杖に手を伸ばす。しかしその手が一瞬それを躊躇した。


この杖を使えば綺麗なドレスと靴で彼女を着飾ることは動作もないこと。きっとこの町で一番美しい娘、いや姫君に生まれ変わるだろう。


でももしも、
もしもそのあまりの美しさに周りから注目を浴び、王子が彼女のことを気にいってしまったら…?



「魔法使いさん…?」



顔を上げた彼女の目が赤い。
その視線に思わず目を彼女から逸らす。


止むことのない涙。できることなら魔法なんかに頼らず、別の方法でその涙を止めたい。
でもその方法を私は知らない。



「善い魔法使いは常に中立でいなければいけないよ」



また師の口癖が頭を横切る。
その言葉にはっと我に返る。


英雄と呼ばれた魔法使いは人の願いを叶えるのが役目。目の前に杖を求める者が現れたのなら私は無心でそれに応えるだけ。それがたとえ自分が愛した相手だったとしても。


私はずっと噛み締めていた唇を少しだけ緩め、彼女のほうを向く。


ずっと彼女の役に立ちたいと思っていた。
だから今から使うこの魔法は彼女を救うためのものじゃない。彼女が私にしてくれたささやかなお礼。



「…その願い、叶えて差し上げましょう」



タイムリミットは午前0時。それを過ぎれば魔法は解け彼女はまた普通の町娘に戻る。きっとまた私のところへ戻ってきてくれる。
そう信じて、私は杖を振った。





***





町に祝福の鐘が鳴り響く。


いつも眺めていた広場は彼女が育てた紫色の花で埋め尽くされ、町中が大勢の笑顔で包まれた。
その中を純白のドレスを身に纏い、王子と共に未来へと歩いていく1人の美しい花嫁。その後ろ姿を私は人混みに紛れ遠くからじっと見つめた。


途中彼女が肩越しに振り返り私に向かって何かを口づさんだ。



「       」



その声はすぐに鐘の音に掻き消され、彼女はまた王子の手に引かれ前へと歩き出す。


一歩、また一歩、彼女が遠ざかっていく。


もしもあの日彼女に会いに行かなければ、
もしもあの瞬間杖を出さなければ、
もしもあの時好きだと伝えていれば、
彼女の隣には自分が立っていただろうか。


そんな馬鹿なことをずっと考えていると晴れた空から雨が降り出した。


滲む青い空と白い雲。頬を伝う熱い雫。
彼女がいる場所はあんなに晴れているのに、ここだけ濃い紫色の雨空。


気が付けば私の周りには誰もいなくなっていた。誰も私のことなど気にもとめない。


いつもそうだ。私が杖を振ると決まって最後はひとりになる。
今までずっとそれが当たり前のことだと思っていたのに、彼女と出会ってしまったせいで気付いてはいけないことに気付いてしまった。


私の師は英雄と呼ばれた魔法使い。
魔法の杖を手に旅をし、たくさんの願いを叶え、たくさんの笑顔を見届けてきた。それが魔法使いにしか味わえない最高の喜びだと師は誇らしげに言っていた。


でも最後は花一輪の手向けもなく師は1人死んでいった。あれだけの願いを、欲を満たしたというのに、弟子以外の誰にも看取られず何もない部屋でただ死を待つ。


それが英雄と呼ばれた魔法使いの末路。
英雄でいる限り幸せな未来など訪れない。



「魔法を自分のために使ってはいけないよ。使うと…」



師の言葉が思い出せない。
あれだけ五月蝿く頭の中に響いていたのに。


止むことを知らない雨は容赦なく私に叩きつける。



「…すみません師匠」






私は杖を取り出し、矛先を自分へと向けた。


この魔法だけは誰かのためじゃなく自分のために。
この選択が間違っていても構わない。


空を見上げたまま目を閉じ、静かに杖を振り下ろす。


もう一度愛すことができるなら、
私は喜んで悪い魔法使いになりましょう。





to be continued...