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「………ん、…」



ソファの上で身体を小さく丸めて眠っていると、瞼裏に感じた微かな光に目を覚ます。


朝だ。そろそろ起きないと。
しかし身体が石のように固まって上手く寝返りが打てない。それに鈍器か何かで頭を殴られたかのような鈍い痛みがずっと続いている。


二日酔いだろうか。調子にのって一気飲みなんかするから。
そんなことを考えながらソファの上で丸まったまま動かずにいるとまた程良い眠気が襲ってくる。このまま眠ってしまえばどんなに気持ちがいいだろうか。


でも今日は土曜日。休日関係なく営業しているこの店にはいつもオーナーか誰かが店の様子を朝やってくる。
さすがにオーナーに見つかったらまずいと閉じていた目をゆっくりと開け、身体の向きを仰向けに変えソファに寝転がったまま一度の大きく伸びをする。霞んでいた視界も少しずつ晴れていき、見慣れた黒い天井とシャンデリアンが目の前に見えてきて…、



「………え?」



目に映る光景に思わず戸惑いの声が漏れる。
視界に飛び込んできたのは黒い天井でも悪趣味なシャンデリアンでもなく、今にも泣き出しそうな鉛色の曇り空だった。



「なん、で…?」



慌ててソファから飛び起き辺りを見渡す。
内装だけは豪華だったはずの店が廃墟のように荒れ果て、天井には空がはっきりと見えるほどの大きな穴が空いていた。それ以外にもいつもマスターが綺麗に整理していた棚が腐食で崩れ落ち、棚から落ちて割れたグラスや酒瓶の破片が床中に散乱していた。



「夢…?」



そう思って試しに頬を思いっきりつねってみる。痛い。普通に痛い。
ということはここは夢じゃないということ?でも自分は昨日1人で店のソファで寝ていたはず。眠っている間に無意識に起きて移動でもしたのだろうか。でもここがどこなのかさっぱり検討もつかない。



「………」



夢のようで夢じゃない現実(なのかもしれない所)にどこか不気味さを感じながら、床に脱ぎ散らかした靴を履き立ち上がる。


ここで考えていても仕方がない。一度店の外に出てみよう。
床に散らばったガラスの破片や倒れた家具を避けながら店の出口へと向かい、錆ついたドアノブを回し扉を開ける。肌を刺すような冷たい風が開いた扉の隙間から店の中へと流れ込む。そのまま恐る恐る外へと出てみると、凸凹した灰色の石畳の道に沿って酒瓶やグラスの形を象ったレリーフを掲げた酒場のような小さな店が何軒も軒を連ねていた。でもどの店も同じように廃墟化し、窓ガラスが割れたり看板が下にズレ落ちたりしている。道を歩いている人もいなく、今にも命切れてしまいそうな街灯がチカチカと寂れた店を照らしていた。


本当にここは一体どこなんだろう?
私が働いて店の周りはもっと賑やかで、人通りも多い繁華街の一角にあったはず。なのにここには繁華街の華やかさも人影もない。


記憶にない風景に戸惑いながらも誰もいないゴーストストリートを道なりに歩き出す。その途中上へと上がっていく石の階段を見つけ、不審に思いながらも一段一段急な階段をゆっくりと登っていくと、目の前に広がっていた薄暗さが次第に明るくなり、ちらほらと人の声と足音が聞こえてきた。


良かった。誰かいる。
曇っていた気持ちが少しだけ晴れ、そのまま階段を登りきると目の前を大勢の人達が行き交う大通りへと出た。


杖をつきながら軽快に歩く分厚いコートを羽織った男。腰にエプロンを巻き手にカゴを持って買い物をする女。それはさっきまで見てきた寂しい風景ではなく、どこにでもあるありふれた日常の風景だった。
しかしどの人も帽子やスカーフを深く被り、颯爽と目の前を通り過ぎていく。そこから覗く口元も表情も心なしか無表情にちかく、どこか冷たい雰囲気を漂わせていた。


どうしよう…。
そればかり頭の中に浮かぶばかりでなかなか一歩が進めない。人に会ったらここがどこなのか教えてもらおうと思っていたが、正直この重たい雰囲気に割って入って声をかけるのはかなりの勇気がいることだと気付いた。



「おい、そこのお前」



じっと建物の影から大通りを眺めていると急に目の前が暗くなり、なんだろうと上を見上げると1人の人物が目の前に立っていた。見るからに頑丈そうな銀色の甲冑を身にまとった図体のデカい大男だった。



「お前、人間だナ?」



カタコトの喋りでそう尋ねてきた大男に私は眉をひそめ怪訝そうな目つきで相手を見つめる。言葉がカタコトな上、頭からスッポリと被った甲冑のマスクのせいで声がごもごもとして聞き取り悪かったが、何となく自分に向かって人間かと聞かれたような気がした。
「は?」と言うような顔で首を傾げているとまた大男から「人間カ?」と聞かれムッとした表情を浮かべながら、



「失礼ねっ。どっからどう見ても人間にしか見えないでしょっ」



胸の前で腕を組み答えた瞬間、突然大男の大きくてゴツい手が私の手首を掴んだ。



「ちょっ、何すんのよっ!?」
「騒ぐな人間」



抵抗の声を上げると大男は平気で手首を掴む手に力を込める。容赦ないバカ力に顔が歪む。



「間抜けな奴ダ。そんな姿で堂々と町中を歩くなんテ。捕まえてくれと言っているようなものだゾ」
「はぁっ!?」



この男はさっきから何を言っているんだろうか。人間かと聞かれそれに答えただけだというのに、まるで物を扱うような酷い仕打ち。
その上手首を掴んだまま自分の目線まで高く持ち上げると私の痛がる顔を物珍しそうに覗き込む。マスクの間から吹かれる生臭い吐息が顔にかかる。



「だ…っ」



誰か助けて。そう叫ぼうと視線を大男から大通りへ移した瞬間、目に映ったそれに思わず目を疑う。
さっきまで人の声や足音で騒がしがった大通りが急に静かになったかと思えば左へ右へと行き交っていた人達が突然立ち止り、一斉に顔をぐるりとこっちへと向けた。帽子やスカーフで見えなかったその顔から覗くまん丸と見開いた2つの真っ黒な双眸。光を感じさせないそれはじっとこっちを見つめ、特に何か喋るわけでもなくただ呆然とその場に立ち尽くしていた。



「ひっ」






思わず口から引きつった悲鳴が漏れる。
嘘だ。ここは夢じゃないのに、現実のはずなのに、私と同じ人間なのに、どうしてこの人達には目がないんだ。


まるでホラー映画でも見ているような不気味さに私は視線を逸らすことができず、無表情を浮かべながらこっちを静かに見るその黒い目に震えた。



「どうかしましたか?」



すると目の前の人込みを掻き分けながら1人の男がこっちへと近付いてきた。
銀色の長い髪をなびかせ、襟の高い黒の長衣を着た男。でも不思議なことにこの男の顔には金色に輝く瞳があった。



「人間の女を1人確保しました」
「おや、またですか?」



大男の前で立ち止まると黒服の男は少し呆れた口ぶりで、でも口は三日月型に笑ったまま視線を私へと移す。



「これはこれは…。また珍しい色の人間が迷い込みましたね」



細長の切れ目がじっとこっちを見つめる。



「色が赤というのが残念ですが他はなかなかの上物のようですし、物好きな見世物屋に売ればいい値がつきそうですね」
「!?」



売る?私を?
その言葉を耳にした瞬間、これはかなりまずい連中に捕まってしまったと改めて後悔する。


さっきまでの威勢が消え黙りこんだ私の顔を舐めるよう見た後、黒服の男はニヤリと笑みを浮かべ、



「ふふ、冗談ですよ。ただの人間ならまだしも魔女を欲しがる人などいませんからね」



魔女。その単語にピクリと反応する。


そういえば昔誰かにもそうと呼ばれたことがあった。この赤髪のせいで。
大人になった今ではそれなりに身なりを気にしているが、子供の頃はろくに髪の手入れもせず好き放題に伸ばしていたせいで髪質はボロボロ、色も今みたいな赤ではなく鉄錆びた赤褐色だったことから「魔女」というあだ名が付けられ、当時はその単語に異様に敏感になっていた。



「この娘、どういたしましょうか?」
「いつも通りでお願いします。他にも人間を捕獲したとの報告がいくつかきているので後でまとめて私からクィーンにお伝えします」



私に興味がなくなったのか、黒服の男はそう言って私と大男に背を向けた。
でも気のせいだろうか。後ろを向く瞬間、肩越しに黒服の男と目が合いどこか悪戯っぽい笑みを私に見せてきた。



「では私はこれで…」



黒服の男が踵を返した時だった。
どこからか静寂を切り裂く耳をつんざくような音が鼓膜に響いた。それは銃声によく似た音だった。


一瞬何が起きたのかよく分からなかった。気が付いた時には黒服の男は地面にうつ伏せの状態で倒れ、身体から赤い液体を流していた。止めどなく流れるそれは瞬く間に広がり、大通りの道を赤で染めた。



「!!」



その場にいた全員が状況を理解した瞬間、町は一斉にパニック状態に陥った。騒ぐ者もいれば中にはショックにあまり気絶する者も。
しかし運が良いことに、私の腕を掴んでいた大男の手が緩むのに気が付く。


「………」



今なら逃げられるかもしれない。
大男にバレないよう靴を脱ぐ。チラリと横目で大男の顔を確認すると、隙を見て緩んだ腕を思いっきり振り払い裸足のまま全速力で逃げ出した。



「!?おい、待テっ!!」



まさか逃げられるとは思ってもいなかっただろう。後ろから大男の焦った怒声が飛んできたが、私は振り向かず混乱に紛れその場を走り去った。
逃げる途中、視界の端にちらちらと映る人影と黒い瞳。これだけの人がいるというのに誰1人普通の目をもった人がいないこの可笑しな状況に不信感を抱きはじめた。本当にここは自分がいた現実なのか、それとも…。


足裏から感じる痛みを噛みしめながら必死に願う。
どうかここが夢でありますように。